紫の上の体格は「ちょうど良い大きさ」と描写されるが、考古学的に見た当時の女性の平均身長が一四八cmから一五一・五cm(参考:『AERA』一九九三年三月三十日号)だからこのくらいだろうか。『源氏物語』の先輩『宇津保物語』で絶世の美女として描かれる、あて宮も“丈五尺に今すこし足らぬほど”つまり一五〇ほどだったし、同じく美女の仲忠のほうは「背丈はちょうど良いくらい」というから、中背の女が理想とされたのだろう。ちなみに同時代の男の平均身長は一五九・五から一六二・一cmだ。中肉中背は別として、みずみずしい肌と美しい黒髪という平安美人の条件は、そのまま「若さ」ということにつながる。「若さ」は男女を問わず、当時の美形の条件だった。絶世の美男という設定の光源氏も、三十六歳という当時としては孫がいるような年齢になってなお「どこまでも若く綺麗」で、四十過ぎても「とても若く美しく、四十歳の誕生パーティを迎えるなんて何かの間違いではないかと思えるほど」と、年をとればとるほど「若さ」が強調されるようになる。同時代の『栄花物語』では、藤原道長の正妻源倫子が、「このようにお子様を多くお生みになられたのに、今のお姿は二十歳くらいにしか見えない」と賞賛されている。当時、倫子は数えで四十五歳。紫式部は倫子が生んだ彰子中宮に仕える女房だった。先に平安美人の条件は「若さ」と書いたが、こうして見ていくと「若さ」というより「若く見えること」であったわけだ。
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