私自身の「勉強」経歴を知っていただきたいと思います。「予備校講師」や「企業研修講師」という職業から想像して、私のことを、優等生コースを突っ走ってきた人間と思ってくださる人も多いのですが、残念ながらまったくそんなことはありません。というより、その逆です。実は、私は、小・中・高校とそんなに勉強ができる人間ではありませんでした。成績は中の上くらい。小・中・高校を通して、それ以上になった記憶はありません。私は小倉生まれで玄海育ち。若い人たちにはこの言葉、ピンとこないかもしれませんが、そう、あの「無法松」と同じです。生粋の九州男児。4歳くらいまで、八幡製鉄所のある町で暮らしていました。工場やSLから出る煙でススだらけの町。その煙のせいで、幼いころの私は勉強どころかぜんそく持ちでした。両親は共働きで、父は地元の大学を卒業後、製鉄所の下請け会社に就職し、母も高校卒業後、製鉄所で働いていました。高学歴のエリート上流家庭とはちょっといえない家庭ですね。しかも、育ったところは九州の一地方ですから、そもそも大都市圏によくある教育熱なんてものはないに等しく、大人たちも「勉強するより遊びなさい」って感じ。実際、小・中・高校と、うちの親から「勉強しろ」といわれたことはほとんどありません。小学4年生くらいのとき、あまりに宿題をやらないので一緒に暮らしていた祖母が心配し、無理やり机の前に座らせたことがありますが、記憶に残っているのはそれくらい。だからといってはなんですが、朝から晩まで、ひたすら遊んで遊んで遊びまくっていました。小学生のときは川で水遊びをしたり、ザリガニや魚をとったり、野球をしたり、陣取りをしたり……。英語を勉強しはじめたのは、外国映画がきっかけ。中学生になっても勉強しないのは相変わらず。泥んこ遊びにかわって、今度は「ボンタンの幅が35センチなのか40センチなのか」「学生服の裏にトラの刺繍がしてあるのか、龍の刺繍がしてあるのか」なんてことを考える毎日。あと、当時大流行していたインベーダーゲームにすっかりはまってしまい、その機械のある「インベーダー大学」というゲームセンターに行きたいがために、電車に乗って塾にも通っていました。
(参考)
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