戦後、化粧品産業の発達とともに化粧品広告は活況を呈し、ファッション、生活文化などの側面から新しい提案、意識の啓発など宣伝業界でも牽引車的役割を果たすようになる。昭和二一年、資生堂は戦後わが国初めての多色刷化粧品ポスターを制作した。当時娯楽の王様と言われた映画のポスターでも赤と黒の二色刷りであったことから、多色刷のポスターは画期的な出来事であり、華やかさを醸しだすとともに、人々の目を見張らせた。また、その時のモデルとして起用し、カーネーションの花をかざしたポーズをとったのが当時人気絶頂であった原節子であったことからさらに注目を浴びた。二二年には、クラブコスメチックスは松竹のニューフェイス津島恵子と契約、クラブ特選乳液のモデルに起用、その後昭和二〇年代の後半には、各化粧品メーカーがこぞって有名タレントをモデルに起用することとなる。二八年には桃谷順天館は、ミスユニバース世界大会で三位に入賞した伊東絹子をモデルに起用、「八頭身美人」が流行語となる。この頃、黒龍は山本富士子、ミツワが有馬稲子、コーセーは南田洋子など有名タレントの起用がブームとなる。宣伝広告の手法も数々の工夫が誕生する。昭和二四年には桃谷順天館は大阪朝日新聞に「カラー印刷香水入り広告」を掲載、また同年ミツワクリームと森永製菓がタイアップで香水入り広告を実施、それぞれ話題を提供した。キャッチコピーも化粧品広告で重要な役割を果たすが、二〇年代にはいくつかのヒット作品が誕生する。昭和二五年に、寿科学(現在はジュジュ化粧品)が、木暮実千代を起用し「一五歳以下の方はお使いになってはいけません」というキャッチフレーズで「マダムジュジュ」を大ヒットさせ、さらに「ナイロンの靴下は足が丸見え!」という宣伝表現で足のお手入れを訴え、女性美の啓蒙活動を行った。二六年には桃谷順天館が映画『歴史は夜つくられる』からヒントを得て「美人は夜つくられる」という名キャッチフレーズを制作、ラジオスポットで放送し、流行語となる。この年二六年は同じくラジオ放送のCMソング第一号で小西六サクラフィルムを宣伝した「ボクはアマチュアーカメラマン」(三木鶏郎作曲)が大ヒットした。同二六年には「日本における商業の理論的および実証的研究を行い、かつ関連諸学会ならびに諸機関との連絡を図り、商業学の発展を期することを目的」(日本商業学会会則)に日本商業学会が設立され、マーケティングの発展に貢献する。
(参考)
アンチエイジング
アンチエイジングの事
アンチエイジングの価値